49歳
とうとう40代も最後となりました。恒例の日記です。今回の内容は、 アメリカ生活が人生の半分以上に、金融資産成長が家計支出を上回るステージ、オムニクリエーター、データビジネス、9歳の娘とビジネスという内容になります。
とうとう40代も最後となりました。恒例の日記です。
目次
アメリカ生活が人生の半分以上に
24歳の終わりに渡米してから24年が経ちました。私のささやかな経歴は40歳の日記に書いた通りですが、41歳で子どもや家族との時間を大事にしようと思って独立、子供らも9歳、6歳とすくすくと育っています。
渡米24周年の10月25日の夕方、子どもを迎えに車を走らせると、パステル調の美しい空。そこに音楽アプリが偶然、ナット・キング・コールのL-O-V-Eをかけ始めめたのです。
L is for the way you look at me
O is for the only one I see
V is very, very extraordinary
E is even more than anyone that you adore can...
(以下、英語で10月に書いた投稿の和訳)
今日は子どものように泣いてしまった。
子どもたちを迎えに行く途中で、完璧なパステルカラーの空を見上げた。その時、車の中で偶然ナット・キング・コールの「L-O-V-E」が流れた。
今日は、24歳の独身の若者としてアメリカに移住してからちょうど24年が経つ日だ。新しい国へ、何も持たず、誰も知り合いもいない中で来た。ただ、未返済の学生ローンだけを抱えて。
自分が人生の半分をこの新しい世界で過ごし、ここを「家」と呼ぶ日が来るなんて、どう想像できただろう?今の家には、美しい妻と2人の子どもがいる。
私の旅は予想外の曲がりくねった道の連続だった。その途中でたくさんの苦労があり、たくさん泣いた。しかし、今では経済的にも安定し、時間にも余裕がある。だから毎日家族と一緒に過ごせる。博士号、結婚、会社員生活、スタートアップ生活、2つの自力で立ち上げたビジネス、そして2人の子ども。ここに至るまで20年以上かかった。
これまでの道を振り返った瞬間、車を運転しながら私は2000年10月25日に日本からアメリカへの飛行機が着陸した瞬間を脳裏に再生していた。24に戻った私。飛行機の窓から見えるアメリカ。これからどんな人生が待っているのだろう。その若者のまぶたの裏にふと見える未来。24年の壮大な冒険の末に待っている妻、子どもたち、幸福にその若者は圧倒された。涙が彼の頬を伝い、止まることはなかった。
その瞬間、子どもたちが車に乗り込んできた。私はさっと涙を拭い48歳の父親に戻った。賑やかになった車を家へ走らせる、家には「L-O-V-E」いっぱいの妻が待っている。
ここまでこれたことに感慨を覚えるとともに、様々な方々にご支援頂いた事に心から感謝しています。
金融資産成長が家計支出を上回るステージ
幸い2024年は株式市場は絶好調で我が家の金融資産も一年で20%増えました。4年前の日記に「今年は家計的にも一つの大台に乗ることができた」と書いて以来、金融資産は二倍になりました。超長期的に見るとS&P500の年間リターンは平均して8から10%ですが、保守的に見積もっても、これからは資産成長が家計支出を上回るステージとなりました。
切り詰めてFIRE(Financial Independence, Retire Early、経済的独立と早期リタイア)とか興味ないですし、飛び越えたい壁もまだまだあります。まだリタイアには早すぎます。
しかし、我が家の家計が新しいステージに乗ったことに気づいて、「もうお金だけを追い求めて仕事をする時期」から卒業したんだなと思いました。50を前にしてここまでこれた事を妻と肩をたたきあってひと満足しています。
一昨年の日記に、「時間という富を築いた」と書きました。妻と子供との時間を最優先して、クリエイティブな仕事に従事する自分の生産性が一番高まるようなライフスタイルを築きました。今年はその様子をいくつかnoteに紹介しました。
オムニクリエーター
ちなみに昨年の誕生日日記に書いたオムニクリエーターの立ち上げをnoteに転載したら良い反響を頂きました。
オムニクリエーターは顧客との対話を繰り返しながら改善をすすめ、ゆっくりですが売上げを伸ばし、追加資本をいれなくてもサービスと法人化費用をまかなえるようになりました。私が作って、オマールが売るという二人だけの小さなビジネスで、自分たちに給料を出していないですが、収益化したオムニクリエータは晴れて私達のデジタル資産となりました。
最初はアクティブに営業をかけて初期ユーザーを募っていましたが、最近はインバウンドでのサインアップもコンスタントに発生するようになり、そこからの有料ユーザーへのコンバージョンの率も見えてくるようになりました。まだまだ事業としては小さすぎますが、2025年はSEOコンテンツ戦略に力を入れて、インバウンドマーケティングが売上を牽引する状態にします。
データビジネス
今年はスタートアップ界隈での仕事が非常にひまでした。2024年も高水準に保たれたフェデラルファンドレートは引き続きテクノロジー業界を圧迫し、更に多くのスタートアップ企業の倒産を招きました。
ベンチャーキャピタルがスタートアップに出資する額もこの3年間どんどん減少してゆきました。
ちなみに2024年はAI投資が盛り上がったという印象があると思います。実際、CB Insightsのレポートによると三分の一がAIへの投資だったということです。
もともと、「データは必要だけど、リソース的にデータエンジニアを社内で抱えられないスタートアップ」をターゲットにしていたので、当然の流れとして新規のプロジェクトがさっぱり取れない状況が続きました。
景気が2022年からこうなることは予測していて、前述のように経済的には十分な準備をしていました。だからこのスローダウンを、新たな探索の機会とする年となりました。スタートしては失敗の回数が多すぎて全部覚えていないのですが、例としてこんな試みをしました。
- ビジネスリーダー向けに無料の初級データシステム講座 (YouTube)
- マウンテンマンデー: 毎週月曜のハイキング先から起業の知恵をビデオでシェア
- デジタルポートフォリオとブログをメインテーマに個人サイトの再構築
そして肝心のデータの仕事は10月に大きなプロジェクトが舞い込んできました。その仕事は来年も継続ということになったので、来年から売上が伸びそうです。
9歳の娘とビジネス
一番楽しかったのは、9歳になったえみとビジネスを立ち上げたことです。ビジネスというほど大げさな話でもないですが、えみは絵が得意でキャラクターもののオリジナルイラストもよく書いています。その中からSushikkogurashiというシリーズが彼女の落書き帳に登場したのがこの夏でした。
9つのキャラクターを私がフィグマでベクトルイメージ化して、レッドバブルというTシャツなどのグッズを作成して売れるサイトでオンライン出店しました。
このキャラクターをベースに、サーフィン、読書、ハロウィーンなどの楽しい絵柄を増やして、インタグラムでも絵柄を公開しました。インスタグラムの運用は大人の私が担当していますが、出来上がった画像だけでなく、下書き画像などもアップして、9歳の女の子が創っているリアルさを押し出しています。
こちらが販売しているグッズの例です。
年末には小学校のバザーに出店し、えみに売らせてみました。なかなかセールスの飲み込みが早くて、2時間で40ドルくらい売り上げてました。
オンラインでも少し売れて、合計一万円くらいの利益。9歳としてはよいお小遣い稼ぎになりました。ままごとのレベルですが、親子で製品を創って売りながらデザインやビジネスのイロハを体験学習したのは非常に良い経験になったと思います。
まとめ
仕事は暇なことが多かったのですが、精神的に大きな転機になったのが2024年だったと思います。その話はまたゆっくりと書こうと思います。また、英語ブログの方では、ジョージ・オーウェルの小説『1984年』を2024年的に読んだエッセイを書きました。興味のある方は是非お読みください。後ほど和訳してnoteにアップしたいと思います。当初、「運とは一体何なのか」という話をここに書こうと思ったのですが、英語ブログの方に掛かりきりなって、次回にお預けとなりました。今年の誕生日日記も遅れて、こう書いているうちに日本は年が明けてしまいました。来年はいよいよ50歳ですが、心の準備万端で年を越せそうで、2025年をワクワクして迎えようとしています。
それでは2025年もよろしくお願いします。
田中乃悟